「アンドリュウ・カーターさん」(オーストラリア)。福岡第2分所記念碑(香焼町)に案内。

    福岡俘虜収容所第14分所(長崎市幸町)に収容されていたオーストラリアの24人は何れも長崎原爆の被爆者であった。その内17人に関しては、ようやく遺族を探しあてられた。オーストラリアでは、アジア太平洋戦争当時は、祖国のために年齢を偽って進んで軍隊に応募する事を良しとする風潮があり、捕虜の中には、16歳なのに20歳と記述されている人もいて、収容されていた若い兵士には、未婚のまま親兄弟や後継遺族が不明な人もある。森重昭さんに協力して、既に10人の遺影登録を行われた「アンドリュウ・カーターさん」(37)は、現在、在ブリスベン日本総領事館の現地職員で、ご夫人は日本人。4歳の男の子と3人暮らしである。日本に居住していた経験から日本語が堪能で、とても真面目な印象を受けた。今回は、長期休暇を利用して、日本国内各地を巡られるが、捕虜調査に関わった長崎を第1訪問地に選び14日~16日に長崎市に滞在された。14日は、長崎原爆資料館見学、15日は、登録した遺影に対面し、森重昭さん夫妻と私も初対面であった。第14分所跡に建つ「説明パネル」(現在は鉄道工事のため仮設中)と香焼町の「第2分所記念碑」へ案内した。香焼現地には、日常の管理を担う井黒キヨミさんが待ち受けていた。運良く4ヵ国の犠牲者を象徴して植え込んだ4色のツツジが満開で、オランダ王国大使館から贈られた珍しい品種のチューリップも満開であった。カーターさんは、記念碑の前に直立し、この碑の建立の偉業を讃え感謝の言葉を述べた上で、オーストラリアの6名の死没者のうち4名の遺族は既に探し当てており、今回の写真を添えて遺族に伝える事を約束された。「遺族関係者は、機会をみてきっと訪問されるでしょう」。と喜びを語られた。また、米軍の救援機墜落による犠牲者の慰霊碑にも、称賛の言葉を頂き、私たち建立委員会の苦労が報われた思いがした。ご遺族の皆さんに思いを馳せ、遠い異国の地で命を落とされ、また生存して帰国された身内の方々のためにも、戦争犠牲者を決してつくってはならない事を記念碑の前でカーターさんと共に誓い合った。(福岡第2分所記念碑維持管理委員会副会長・井原東洋一)  


コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中