「南京安全区国際委員会」・金陵大学(現・南京大学)、・鼓楼医院、金陵女子文理学院(現南京師範大学院)。

  アメリカ大使館や日本大使館、金陵大学、金陵女子文理学院、最高法院、司法院、陸軍大学、鼓楼医院などの主要施設が集中した地域を「国際安全区」として難民を受け入れ、保護するために「南京安全区国際委員会」が設けられ、16名の欧米人によって構成された。委員長には、ドイツ・シーメンス社の南京支社長の「ジョン・ラーベ」が就任し、日独同盟を頼りにしていた。金陵大学は、最大の難民収容所となり、3万人近い避難者で溢れ、金陵女子文理学院には、主に女性が9千人も収容されていた。 

しかし、日本軍は、嘘で固めた言辞をもって結局は、命を奪い去った。ジョン・ラーべと共に、1892年に、第1西洋医院を開院し、難民救済に尽くした鼓楼医院の馬林博士や金陵女子文理学院のミニー・ポートリン女史の献身的な活躍で1万人以上の生命を救った功績は、後の世に語り継がれている。(井原東洋一)


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