ウクライナ、ベラルーシ共和国・平和の旅。報告集会。(ナヘア主催)

8月25日(土)午後1時45分に開会した長崎市立図書館内での「報告会」は、4月24日~5月3日に及んだ「ウクライナ及びベラルーシ共和国訪問」の詳細な説明と、「長崎原爆被爆者として、長崎からの発信」を意識した啓発を意図していた。主催は2018年8月の約1ヶ月間をかけて、市内一円に展開する「アートによる平和活動」・「長崎平和アートプロジェクト」(ナヘア)活動の一要素に位置付けた。この平和の旅は、共に「長崎瓊子の会会員」で、被爆者・井原東洋一と被爆二世・大瀧 知子(共に外務省委嘱・非核特使)の2人旅であった。招待してくださった2か国の4団体と、費用面で全面的なご支援を頂いた「高田賢三起き上がりこぼしプロジェクト事務局長の渡邉 実様」と、「日本ベラルーシ友好協会事務局長の佐々木正光様(ベラルーシ名誉領事)」に、まず深い感謝の言葉を述べた。次いで、「長崎瓊子によって導かれる不思議な力」魔力かと思われる現象の不可思議さから、90有余年以前の人形交流が日本とアメリカを結ぶ人間交流へ進化、さらに、ウクライナ、ベラルーシへと発展した事は、根源的な緣で固く結ばれ、揺るぎない関係に定着して来ている実感を率直に説明した。話は、ウクライナに関する基礎的な知識に始まり、原爆廃棄を実現した稀有な国ながら、旧ソ連邦から引き継いだ負の遺産「チェルノブイリ原発」に決別出来ない矛盾を抱えている様子の感想を述べ、「原爆と原発」、「戦争と人間」に関して、ウクライナも、福島第一原発と同じように、「政、官、財、学、司、報、労、暴の8大マフィア」にも似た黒い背景が有るのだろうかと、疑問を禁じ得なかった感想を述べた。チェルノブイリは、廃炉に着手してすでに32年、発電所内部に封じ込められたままの多数の犠牲者を含めて、全体を覆っていた石棺は、放射熱などですでに崩壊した。新たに、30ヶ国の国際プロジェクトにより、10ヶ年の歳月と2000億円の巨費を投じて2016年11月に完成した世界最大の鋼鉄製セルター「再石棺」は、耐用100年らしいが保証されてはいない。「炉心取り出しへのメドを見出だすには、500年後を想定するのが現実的だ」と言及した「ドミトリー・ステリマフ・チェルノブイリ原発廃炉戦略担当部長」の発言は重い。廃炉作業に、従事してきたベテランズたちは、原発事故を「自動車事故みたいなものだ」と軽視したので、私は、意識的に激しく論争したが、議論が交わることはなかった。母親たちや子どもたちの思いとはかけ離れていて、政治的意図が感じられた。ここでは「再び原発事故を起こしては成らない。原爆は絶対悪の兵器であり地球上から完全に廃棄すべきである」の2点で一致した。スラブチッチ市、ゼムリャキ、国立チェルノブイリ博物館、学校などでは、それぞれの文化イベントの中に、「広島原爆被爆ヴァイオリン」の演奏や、アニメ映画「アンジェラスの鐘」上映、や、私たちを歓迎するプログラムが組まれており、子どもたちによるコザックダンスや、特に、少年少女合唱団「ナイチンゲール」は、「長崎の鐘」と「ふるさと」を日本語で完璧に歌ってくれた。長期間練習に励み心の底から歓迎してくださったウクライナの企画者、指導者と子どもたちに、感謝し感涙した。ウクライナとベラルーシに滞在期間中、20数回に及んだ、挨拶、対話、講話、講演では、「原爆と原発による変わりない核の脅威」を、詳しく説き、長崎はどの様な運動を継続しているかを10数項目を例示し、「核も戦争もない平和な地球を子どもたちへ」引き継ぐために、核兵器の最後の1発がなくなるまで「長崎を最後の被爆地」とする運動を続ける決意を訴えて来た。25日には、写真や動画を交えた凡そ90分間の報告を終えた。若干の休憩を挟み、「古楽器リュート奏者・井上周子さん」の演奏で静かで安らかな雰囲気に包まれたまま閉会した。60名近い皆さんが集まって頂いた会場には、ウクライナとベラルーシの特徴的な場所や交流風景の写真を掲示した。正面には、キエフ市長、スラブチッチ市長、国立チェルノブイリ博物館副館長などの「起き上がりこぼし」を飾ってアピールした。

(非核特使・井原東洋一・大瀧知子)


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